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2016年11月27日のつぶやき 2016/11/28 [つれつれ(めもり)]


ティハウス ムジカ  「つれづれ樹」   [つれつれ(めもり)]

 


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   1952年大阪の堂島に「ムジカ喫茶室」として創業

   1969年日本で初めてティーハウスとして改装し、 「ティーハウス・ムジカ」とする

   1981年~堂島グランドビル地下で営業
      
   1999年春 現在のアクア堂島ビルフォンタナ3Fに移転
   2013.11 芦屋に移転

   ◆日本で初めて、本格的にポットで紅茶を供した店として有名
     最早伝説的な喫茶店となっている。
    インド、スリランカ、中国はもとよりアフリカなどからも独自ルートで
     最高品質の紅茶を輸入し、それを極めて良心的な価格で供給するとともに、
     茶葉の小売、卸売りも行っています


 懐かしい記憶があります 学生の頃繁くおとずれてた
 グランドビル以前だったっけ すぐ近く二階にヌワラエリアあった
 ある年 ヌワラエリアが最高だった
 味はもちろんのこと 水色がよかった
 次の年も こころ寄せて茶葉購入しがっかりしてた。。
 
 おうちには いまもムジカ商品
 ティポット・茶葉スプーン・茶こし
 ティカップ
 紅茶の本 2冊(30年ほど前ムジカで販売してた。)
 いらっしゃる。。。






 緑茶・紅茶好みです。

 烏龍茶も、、、
 年中飲みは 麦茶ですが。。。
 テトラ型のティバッグは 画期的ですね。
 それ以上に インスタントコーヒーの進化が凄すぎる。。。
 お手軽で 十二分な味わいが得られるようになった。

 抹茶も 新しい展開見せ始めた。。。

 
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銅鐸と古事記”天孫降臨”  「つれづれ樹」   [育まれる(歴史)]

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 徳川幕府に特徴的な統治政策
 諸藩を征圧せずに温存し 代替に参勤交代などを行った。
 家康が命からがら 紀伊山地に逃げ込みながらえた経験からか、、、
 なんでか?  出来なかったから。。。
 都付近でも近くの山岳に逃げ込めばいくらでも生き延びられる。
 航空機などの発展がなければ地政学的に 制圧は不可能だった。。。

 縄文人が”文字を持たなかった。”定説
 なんでか?  全くに必要がなかったから、、、
 一族血縁集団で140人程度までなら
 必要なことは口頭で伝えられる。。。
 自然の恵みが豊かだったから、、、
 季節に応じて定移動すれば 食生活に困ることはなかった。。。
 縄文の時代って 一万年以上続いてるんだよ!
 そんだけ 安定した自然があったから。。。

 弥生人≒中国大陸からの難民
 これは 数世代にわたって行われ続けた
 彼らは 戦いに敗れ北京付近から南方に逃れた
 必然に先住していた者も 押し出される。 そして日本に吹き溜まった。
 これが数世代続くと、
 先に渡来した弥生人と 後からやってきた弥生人
 出身地も異なり 大陸での軋轢もあり 日本でも戦争繰りかえしてる。。。
 


 日本人のほとんどが、縄文人と弥生人(渡来系)の遺伝子を受け継いでいるとされています。
 沖縄県倫理法人会によると、純粋な縄文人は5%ほどしかおらず、
 現代人の75%が縄文人と弥生人の遺伝子を持っているそうです。
 沖縄の方とアイヌの方は 遺伝子的類似性が大きいとされてる。

 
 銅鐸は 大陸に原型があり 日本に持ち込まれたもの
 使い道も定かではなく 宗教儀式的なものとされてる。
 当然に 列島内でも西から 東方に移っていったものでしょう。。。
 古事記は 弥生から平安時代の間 712年に編纂されてる。
 くに産み神話の中に 淡路島がでてる。 それなりの場所だったんですね。
 さまざまな弥生のルーツが あったのでしょう。。。。。
 ただ 古事記を編纂した民族は、、、
 島根県に ”天孫降臨”した渡来人と 考えても良いのでは、、、、、










松帆銅鐸、荒神谷6号鐸とも兄弟銅鐸 弥生時代、広域交流裏付け   '16,10/26
 松帆銅鐸の5号鐸(左)と荒神谷遺跡の6号鐸。
 同じ鋳型から作った「兄弟銅鐸」と分かった。
 (松帆は奈良文化財研究所提供、荒神谷は島根県教育庁提供)
 淡路島(兵庫県南あわじ市)で見つかった弥生時代の青銅器
 「松帆銅鐸」(7個)の5号鐸と、荒神谷遺跡(島根県出雲市)の6号鐸が、
 同じ鋳型(同笵)から作った「兄弟銅鐸」だったことが分かり、南あわじ市などが26日、発表した。
 松帆3号と加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)27号との同笵関係や、松帆2号と4号が、
 日光寺(南あわじ市)が所蔵する銅鐸と3兄弟だったこともこれまでに判明しており、
 7個のうち4個が他の遺跡から出た銅鐸と兄弟関係にあることが分かった。
 弥生時代の広域交流を裏付ける史料となる。



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